パレスチナで起きていることを自分ごととして考える
今のこの状況を受けて、昨年末に緊急出版された岡真理さんの『ガザとは何か パレスチナを知るための緊急講義』。2023年10月、”<パレスチナ>を生きる人々を想う学生若者有志の会” 主催で早稲田大学と京都大学で開催された、パレスチナの現状を知るための緊急講義2本が収録されている。
差別、民族主義と民族浄化、植民地主義、占領、封鎖、虐殺。長い時間にわたってありえないことが行われてきたという事実と、こんなにおかしなことが自分が生まれるよりもずっと前から起きているのに何一つ知らなかった自分、こういう状況になっても学ぼうとしなかった自分への憤り。そしてまさに今もガザや西岸で起こっている、想像を絶するようなこと。何重にもショックが重なって、胸が押しつぶされそうになった。でも、75年にわたって占領と虐殺を受けてきて、そして世界から見て見ぬふりをされ、絶望してきたパレスチナの人々が置かれている状況を考えれば、私のこの苦しい気持ちなどあまりに取るに足りないことだと分かる。
私を含む一人一人の無関心が、パレスチナで起きているジェノサイド攻撃をずっと許してきた。2023年の10月7日以降、パレスチナで明らかに大変なことが起こっているということを私は報道やSNSで知りながらも、そして日本や世界各地で声をあげている人たちのことを横目に見ながらも、「私は問題のことを全然知らないし、難しそう」「いつか時間ができたらちゃんと学ぼう、それから自分に何ができるか考えよう」と言い聞かせることで、何もしない自分を正当化してきた。この本を読み終えたとき、自分は早急に何かを発さなければ、言葉にしなければとそう思ったのに、考えすぎて苦しくなったり、言葉を選んだりして迷っているうちにまた黙り込んでしまっていた。黙ることは加担することだと学んだはずなのに。この文章も、書いては消してを繰り返している。
侵略や人殺しの加害者側に自分がいるなんて、誰も思いたくないものだと思う。あくまで遠くで起きている悲しいこと、そういう風に捉えるのは、残酷だけれど一番楽なことだとは思う。でもパレスチナの問題は、そうやって「遠くで起きている悲しいこと」として脳内で処理し、向き合わない/知ろうとしないことが、結果的に一番の加担になる。人々が今起きている問題に関心を持たないことは、入植と民族浄化を進めたいイスラエル国家のまさに思うツボでしかなく、それがガザ地区やパレスチナでの虐殺を可能にしてしまう。難しそう、忙しい、余裕がない、そういう人はたくさんいると思うけれど(情けないけれど、私もそう)、だけど自責の念も込めて、少なくとも知らないままでいるほうにとどまることは、結果的に加害の側に立つことを選んでいることになるのだということを、今を生きる私たちは知っておかなくてはいけないと思う。
『ガザとは何か』を読んで、私が学んだこと。とはいっても全てを網羅することはとても難しく、こうして書き出すには自分はまだ不勉強なのではないかという怖さも感じるのは事実だけれど、それでもまずは早急に知ることが大切だし、知ったからには言葉にしなくてはと思う。書籍の帯にもあるけれど、パレスチナ問題のことを知りたいと思ったらまさに「まずここから」の一冊だと思う。私もこれからも学びを続けます。
・この問題は2023年10月に始まったことではないということ。
・私たちは、そもそもイスラエルという国家とはなんなのか、どのようにして建国されたのかという歴史を知らなくてはいけない。イスラエル国家は、国際法に違反して元々あったパレスチナという地へ入植をし、パレスチナ人から土地を奪って建国された国で、パレスチナ人に対するアパルトヘイトがベースにある国家だということ(同時に、ホロコーストで多くのヨーロッパのユダヤ人が犠牲になったという事実も語る必要がある)。
・「即時停戦」を強く主張することはもちろん必要。けれど、それだけではパレスチナとイスラエルに関する根本的な問題は何も解決しないということ。
・私たちがメディアの報道で日々目にしたり耳にしている、「イスラム系武装勢力のハマースとイスラエルの衝突」という言葉は、あらゆる要点があまりに抜け落ちていて、事態の重大さや問題の本質に全く触れていないということ。
・ハマースはあたかも残虐なテロ組織であるかのように語られるが(そして私たちは、そう言っているのは誰/どこの国なのかという視点を持つ必要がある)、そもそもはずっとイスラエルに抑圧されてきた自分たちの解放を求めて立ち上がった運動組織である。ハマースがやったことの暴力性ばかりが取り上げられるが、それらはイスラエル国家がこれまでやってきたことを正当化する理由には一切ならない。
・ガザ地区で行われていること。完全封鎖。戦争のような直接的な暴力とは違って一見わかりにくいが、それは構造的な暴力であり、ガザの人々は生きながらの死を強いられているようなものであるということ。
・入植と攻撃をしているのはイスラエル国家だが、それを可能にしているのは、長年見て見ぬふりをしてきている国際社会である(もちろん日本も含まれる)。
私たちがはっきりと「やめろ」と言わない限り、イスラエル国家はずっとこれを続ける。私には大事な家族や友人がいて、ただただみんなに幸せに生きてほしいと思っている。それはきっと世界のどこに生まれ落ちようと、人間であれば同じことなはず。けれど、パレスチナでは多くの赤ちゃんや子ども、罪のない人々が封鎖された場所での暮らしを強いられ、人間らしく生きる權利を奪われている。傷つけられ、殺されている。私たちと同じように、ただ一人の人間として自分の人生を生きていきたいと願っているだけの人たち。
関連図書を読むこと。セミナーや解説動画を見ること。学ぶこと。パレスチナ問題のことを発信してくれているSNSのアカウントもたくさんある。パレスチナに関する映画を観たり、文化に触れること。アパルトヘイト国家であるイスラエル国家に出資したり軍事侵攻に加担している企業に対して声をあげること。そういう企業と資本関係にある場所から物を買わないこと(ボイコット)。デモに行くこと。国や自治体に声を届けること。やるべきことはたくさんある。たいしたこともできてなくて、やれてないことばかり頭に浮かんでしまうような自分がこうやって言葉を綴っていいものだろうかと思ってしまうけれど、自分が何者かなど関係なく、知った人には行動に移していく責任がある。私も今この瞬間から、やるべきことをやろうと思う。
(Text:Sayaka)
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